2009年07月01日

冷戦期は共産主義に対する脅威から

冷戦期は共産主義に対する脅威から西側諸国は労働法制の強化や、社会保障を充実させるなど、労働者の権利を認めざるを得なかったが、1980年代以降経済的な規制を緩め市場原理主義を推進する新保守主義(新自由主義)が台頭し、再び資本主義国の労働者が過酷な境遇に追い立てられている。それはアメリカ合衆国や英国、ニュージーランド、日本など新自由主義経済の国々で著しく、また、社会主義市場経済を標榜する中華人民共和国においても、民工などの過酷な労働者の搾取が存在する。中華人民共和国では一党支配を温存しながら大胆な市場経済の導入を進め、社会保障を充実させないまま国営企業から労働者を大量に解雇したため、資本主義国よりも、社会主義を標榜する中国の方が労働環境が悪く、労働組合の活動も自由化されていない事態になっている。さらに、中国共産党は本来の共産主義イデオロギーと相容れないはずの資本家の入党を認めており、労働者はしばしば中国共産党員である資本家に資本主義国よりも露骨な形で搾取されている。
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また、自由主義諸国では市場原理主義を推進し、国家による市場への関与が縮小された結果、少数の富者(巨額の報酬を受ける経営者、投機中心の投資ファンドなど)と大多数の貧者(グローバリゼーションの中で容易には国を変えられない労働者、特に単純作業に従事する低賃金の非正規労働者)という構造ができ、経済基盤が脆弱になった。その結果、2008年以降の世界同時不況で経済に深刻なダメージを受け、特に日本では解雇しやすい非正規労働者を中心に失業者が大量に生み出された。劣悪な環境と低賃金に耐えながらも労働していた非正規労働者たちは一斉に解雇され、路上に放り出された。こうしたことにより、共産主義者を中心に新自由主義の破綻が唱えられるようになっている。また、新自由主義を採用している国のみならず、事実上資本主義化している開発独裁国家である中華人民共和国やロシアにも不況の波が容赦なく押し寄せ、深刻なダメージを受けている。世界同時不況は2009年6月現在も進行中であり、今後の情勢次第では非正規労働者だけでなく正社員の失業者も大量に生み出され、世界恐慌へと発展する危険性がある。

2009年06月13日

計算複雑性理論で扱う計算問題の多くは決定問題である

計算複雑性理論で扱う計算問題の多くは決定問題である。決定問題とは、答えが「はい」か「いいえ」になる問題を指す。

決定問題を主に扱うのは、任意の計算問題を何らかの決定問題に還元することが常に可能だからである。例えば、HAS-FACOTR を与えられた整数 n と k(どちらも二進数で与えるとする)について、n が k より小さい素因数をもつかどうかに答える決定問題とする。すると、計算問題 FACTORIZE(素因数分解)の解法は、HAS-FACOTR を使って実現でき、その際に追加の資源はそれほど要しない。具体的には k について二分探索を行い、n の最小素因数を探索し、その値で n を割る。そして商について再び同じ作業を繰り返していけばよい。このことは、HAS-FACTOR の解法をある計算資源量で実現できるか否かが分れば、FACTORIZE の解法についても分るということを意味する。

計算複雑性理論では、答えが「はい」かどうかを確認する問題と、答えが「いいえ」かどうかを確認する問題を区別する。「はい」と「いいえ」を逆転させた問題は、元の問題の補問題と呼ばれる。
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例えば決定問題 IS-PRIME(素数判定問題)は、入力が素数の場合に「はい」、そうでなければ「いいえ」を返す。一方、問題 IS-COMPOSITE は与えられた整数が素数でない(すなわち合成数である)ことを決定する。IS-PRIME が「はい」を返すなら、IS-COMPOSITE は「いいえ」を返す。逆も成り立つ。したがって IS-COMPOSITE は IS-PRIME の補問題であり、同様に IS-PRIME は IS-COMPOSITE の補問題である。

ある問題の解を求める計算量とその補問題の解を求める計算量は同じであるが、問題のあるインスタンスについて「はい」となる証拠を与えられて、その証拠が正しいかを判定する計算量は同じとは限らない。例えば、IS-COMPOSITE問題で、ある整数について、証拠として素因子を一つ与えられれば、除算を行うことで検算することができる。しかし、IS-PRIME問題では、どのような証拠を与えればよいかは、しばらくの間、自明ではなかった。補問題を区別することは、後述する複雑性クラスNPとco-NPなどで重要となる。

計算複雑性理論の重要な成果の1つとして、ある難しい問題があったとき(それがいかに大量の時間資源や空間資源を要したとしても)、それよりさらに難しい問題が必ず存在するという事実がある。時間計算量については時間階層定理によってこれが証明されている。同様に領域階層定理も導かれる。

2009年06月08日

慈悲の瞑想

慈悲の瞑想(パーリ語 mettā bhāvanā、英語 cultivation of loving-kindness)とは上座部仏教における瞑想の一種である。

上座部仏教における40種類の瞑想(サマタ瞑想)のなかで、慈・悲・喜・捨の四無量心あるいは四梵住と呼ばれるものがあるが、それを簡便化したのが現代において広く行なわれている慈悲の瞑想である。
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現代のヴィパッサナー瞑想においては、準備段階としてセットにして行なわれるが、仏教の精神をもっともよく表現した瞑想法としてきわめて重視されている。

慈悲のこころは仏教の基本である。「生きとし生けるものが幸せでありますように」(パーリ Sabbe sattā bhavantu sukhitattā)というのが、その基本となる精神である。

以下に挙げたように、この瞑想法では、まずは自分一身に対して慈・悲・喜・捨を念じつづけ、次第にその対象をひろげていき、最終的には「生きとし生けるもの」へと思いを広げていくという方法をとる。

2009年04月25日

地球空洞説

地球空洞説(ちきゅうくうどうせつ、hollow Earth theory)とは、我々の住むこの地球は、中身の詰まった球体ではなく、ゴムボールのように中空であるという考え方。これには球殻の内側の凹面は人間などの居住が可能だというアイデアを含んでいる。

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SFや冒険小説の世界では一時期、非常にポピュラーな舞台設定として独自の位置を築いていたが、現在ではあまり見られなくなったテーマである。測地学の分野では相当の長期間にわたって議論されたが、科学者たちは一様にこれを疑似科学であるとして退けた。

アイザック・ニュートンの万有引力の法則に従えば、球状に対称な凹面の殻内部では、殻の厚さに関わり無く、全ての地点で無重力となってしまうことが解っている(地球の自転から生じる遠心力は“外”方向へ人を引きつけるが、回転半径が最も大きい赤道地域でさえ、この力は通常の地球の重力の0.3%にすぎない)。

古代において、地下の領域というアイデアは非常にポピュラーで、例えばギリシア神話における冥府(ハデス)、ユダヤ教における冥土、キリスト教における地獄などの場所の概念と深く結びついていた。

1692年、イギリスの天文学者エドモンド・ハレーは、極地方の変則的な磁気変動を説明するために地球空洞説を考案。イギリス学士院で「地球空洞説」を発表した。これは水星と同じ直径の中心核と、金星および火星と同じ直径で厚さ500マイルの同心球状の二つの内核とからなる空洞地球という説であった。これらの殻同士は空気の層で切り離され、各々の殻はそれぞれ磁極を有しており、さらに異なる速度で自転しているとされた。 また彼の説では、地球内部は明るく、おそらくは居住可能であること、さらにそこから逃げてくる発光性ガスによって揺らめくオーロラが生じるとされた。 さらにオイラーの公式やオイラーの多面体定理で知られるスイスの数学者レオンハルト・オイラーも地球空洞説をとなえた。こちらは多重球殻を採用せず、地球内部の高度な文明を照らす一個の内部太陽を仮定したものである。

2009年04月07日

大陸での戦争が始まったため

昭和初期 [編集]
大陸での戦争が始まったため、軍歌が急速に作られるようになってきた。時代に合わせて口語体のものも多少出てきており、また曲は歌謡曲に近いものになってきている。戦局の泥沼化を反映してか、後期には悲壮な曲調のものが多い。レコードの普及に伴い、一般に広がってヒット曲となる速度が非常に速くなっており、数十万枚単位で売れる大ヒット作がいくつも誕生している。

青年日本の歌 作詞作曲:三上卓
昭和5年に作られた。作者の三上卓は五・一五事件の反乱将校の一人。別名「昭和維新の歌」。二・二六事件後は「反乱をあおる危険な歌」とされ、歌唱が厳重に禁止された。歌自体の完成度の高さもあってか他の軍歌と同じく当時から現代まで愛唱されている名軍歌・革命歌の一つでもある。
露営の歌 作詞:藪内喜一郎 作曲:古関裕而
「勝ってくるぞと勇ましく〜」の歌詞で始まる、まさにこの時期を体現するような曲。泥沼化を反映した悲壮極まりない曲であり、将兵・民間人の心情に訴えかけ、わずか半年間で60万枚を売った。レコードのA面は「進軍の歌」というものであったが、B面であったこちらのほうがはるかに人気があった。軍歌・戦時歌謡の傑作のひとつに数えられる。のちの太平洋戦争時には、兵士を送るために使われた曲である。
暁に祈る 作詞:野村俊夫 作曲:古関裕而
昭和15年の松竹映画「征戦愛馬譜、暁に祈る」の主題歌として作られた。これは陸軍省馬政課が軍馬に対する認識を喚起するためにバックアップした映画だったが、歌詞中で馬をうたった部分が少なく曲調も哀愁漂う旋律だったため、父や兄弟を戦場へ送り出した家族や望郷の思いにかられる兵士達に受け入れられ、映画を離れて広く長く支持された。
爆弾三勇士 作詞:与謝野鉄幹 作曲:辻順治
昭和7年2月、上海事変において、攻めあぐねていた中国国民党軍陣地に対し、あらかじめ点火した破壊筒を抱き合い鉄条網に突入、爆破し自らも爆死をとげた、久留米第24旅団の江下武二、北川丞、作江伊之助各工兵一等兵の武功をたたえた曲。当時、この武功をたたえる曲を毎日、報知、朝日の3新聞社がそれぞれに公募・発表したが、毎日によるものがもっともヒットした(朝日による公募歌は「肉弾三勇士」という)。なお、毎日が歌詞を懸賞募集したところ与謝野鉄幹が応募してきたため、選者の北原白秋が困り果てて一等当選にした、という余談もある。
愛国行進曲 作詞:森川幸雄 作曲:瀬戸口藤吉
昭和12年12月に内閣情報部によって詞曲ともに公募、選定された。作曲者は、軍艦行進曲を作曲した瀬戸口藤吉。レコードは、各社から様々な形で吹き込まれて発売され、売り上げは累計すると100万枚を超える。やはり行進曲の名手の作、曲は非常に評判が良かったが、歌詞は「一般国民が歌うのに難解すぎる」と、一部の文壇や国文学者などからの評判は芳しくなかった。また、歌詞選定を行った北原白秋と佐佐木信綱が、歌詞の手直しをめぐって論争から大げんかになり、両者とも死ぬまで口を利かなかったという逸話もある。
海ゆかば 作詞:大伴家持 作曲:信時潔
本来は士気を鼓舞するための曲だったが、玉砕を発表する時に使用され、すっかりそちらのイメージで有名になった。現在でも鎮魂歌として使われることが多い。荘重な古歌に上質な曲を組み合わせたもので、非常に格調高く仕上がっている。大伴家持の歌に曲をつけたもの。マッカーサーがフィリピン軍の軍事顧問時代、この歌詞から日本軍の戦闘心理を理解したという逸話がある。
愛馬進軍歌 作詞:久保井信夫 作曲:新城正一
後に硫黄島で戦死する騎兵科出身の栗林忠道陸軍大将がかかわった事で有名。歌詞コンクールをして一等入選だったものに曲をつけた。軽快な曲と、馬に対する愛情がにじみ出ているようなこれぞ騎兵といった歌詞とで人気を博した。
出征兵士を送る歌 作詞:生田大三郎 作曲:林伊佐緒
大日本雄弁会講談社(後の講談社)が公募・選定した曲。作詞者が駅に日参して歌詞を作ったとされる。極めて勇壮な歌詞とメロディーに作曲者でもある林伊佐緒の豪快な歌唱も相まってか、この歌の戦後吹き替え版(キングレコード、林伊佐緒:ボニー・ジャックス)は主に街宣右翼御用達の歌として盛んに流されており、ある意味一般での知名度が高い歌でもあり、かつ日本軍歌を代表する曲の一つでもある。
ほんとにほんとに御苦労ね 作詞:野村俊夫 作曲:倉若晴生
戦線の将兵たちの心情をうたった歌。後に「いやじゃありませんか軍隊は」ではじまる同じメロディーの替え歌「軍隊小唄」としてうたわれ、戦後はザ・ドリフターズも替え歌でうたっていた。
麦と兵隊 作詞:藤田まさと 作曲:大村能章 
火野葦平原作の同名の映画の主題歌。大変人気があった曲で、現在でも愛唱されている。
討匪行(とうひこう) 作詞:八木沼丈夫 作曲:藤原義江 
帝国陸軍関東軍参謀部が選定・発表した純軍歌。中国戦線で匪賊討伐にあたる兵士の姿を描いている。この歌も雪の進軍と同じくまるで厭戦・反戦歌に聴こえてしまう様な歌ではあるが、日本軍歌のご多分に漏れず軍民双方で愛唱された(しかも尚且つ他の多くの民間製作の歌と違い、討匪行は軍制定の純粋な「軍歌」である)。食事も補給もなく、愛馬も倒れ、時には空を仰ぎながら涙を流し、戦友と生きて再会出来た喜びに歓喜しながらも、それでも黙々と泥濘道を往く様子や、戦死した敵の死体に花を手向けて弔うなど、前線を実感的にあらわしている。作曲者及びオリジナルの吹き込み(創唱歌手)は“我等のテナー”として当時から活躍していた日本を代表する名オペラ・歌謡歌手である藤原義江。
加藤隼戦闘隊(正式名称:飛行第64戦隊歌) 作詞:田中林平 旭六郎 作曲:森屋五郎 原田喜一 岡野正幸
軍神となった加藤戦隊長の名を取って「加藤部隊」として名をはせた精鋭部隊である陸軍飛行第64戦隊の部隊歌。昭和16年公開のニュース映画や、同名の戦争映画(1944年)の大ヒットによって民間にも知られた。曲自体の成立は昭和15年ごろで、南支派遣軍軍楽隊が作曲、部隊の隊員らが作詞を担当した。全体に勇壮な歌詞と曲であるが、5番まであるうち4番のみ旋律が変わり、悲壮な心情をふとうかがわせたような曲調となっている。

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2009年03月23日

軽便鉄道法

軽便鉄道法(けいべんてつどうほう)は、軽便鉄道を敷設するための手続きについて記した日本の法律である。

1910年(明治43年)4月21日に公布、8月3日に施行され、地方鉄道法の制定に伴い1919年(大正8年)4月10日に失効した。

概要 [編集]
1906年(明治39年)に公布された鉄道国有法により、17社の私鉄が国有化され、日本の鉄道は「私設主導から国有主義」へ方針が変更された。

だが、これにより私設鉄道の敷設出願がほとんどなくなるという事態もを招いてしまった。国は国有化に要した費用のため、地方における鉄道を敷設するだけの余力はなく、地域開発を推進する観点からすれば、この状況は由々しいことであった。
コレオ おいで リトリート 宵待草 バック レポーター デトネー ペラル なよろ ラファエロ タムシバ レーション かぜのよ フリンダ トーイン シナリオ セミコン ブザム サイド ノータ ノール フラット パワフ フリゲート ソナチネ ますか かでん ローデ あかだい ハーレム エーション バレリーナ ネオン テレビ クロミッ キウイ ワラチ 水色の 遠き旅路 グラス フロート ハバロ もろあう マアア キャパ ホマホ スコア バンビダ ワジナビ セゾン

この事態の背景の一つとしては、1900年(明治33年)に施行された私鉄を監督する法律の、私設鉄道法(明治33年法律第64号、全文98箇条)にも問題があるといわれた。私設鉄道法は国有化された日本鉄道や山陽鉄道など、大規模な鉄道路線を敷設する私鉄を対象に制定されたものであって、路線敷設許可申請に関わる条件が厳しく、手続きは煩雑であった。

そのため、地方鉄道の建設を推進するためには、もっと簡易な条件の法律を制定する必要があるのではないかという結論に至り、それに基づいて制定されたのが当法であった。

条文は僅か8箇条に過ぎず、軌間や設備なども簡易なもので良いとし、認可を受ければ道路上に軌道を敷設してよいなど、大盤振る舞いと言ってよい内容になっていた。さらに1911年(明治44年)には、この軽便鉄道の敷設を推進するため、軌間762mm以上の規格で建設された路線に対し、開業から5年間の間(後の改正で、10年間へ延長)は政府により5%の収益を補償するという軽便鉄道補助法(明治44年法律第17号)が公布され、この後しばらく日本で「軽便鉄道」の敷設ブームを引き起こすことにつながった。

また、私設鉄道法に基づいて建設された路線も、軽便鉄道法に基づく軽便鉄道へ移行することが認められたため、それまでに敷設された多くの鉄道路線が「軽便鉄道線」へ移行した。結果、1918年(大正7年)には私設鉄道法に基づく私鉄線が皆無になってしまった。

そのため政府では、軽便鉄道法の条項をやや厳しくした上で、私設鉄道法・軽便鉄道法に代わる新しい私鉄監督の法律を制定することにし、1919年(大正8年)に地方鉄道法(大正8年法律第52条、全文44箇条)として公布、これに伴い前述の2法はどちらも廃止された。助成制度は、新たに制定された地方鉄道補助法に基づいて継続されることとなった。

なお狭義では、この軽便鉄道法に基づいて建設された鉄道路線のみを「軽便鉄道」としているが、実際には地方鉄道法や軌道法などに基づいて建設された路線、それに専用鉄道や森林鉄道などを含め、広義の「軽便鉄道」とすることが多い。

条文 [編集]
(本項への掲載にあたり、カタカナをひらがなに、漢数字をアラビア数字に改め、濁点、句読点等を加え、漢字を常用漢字の書体に改めている。)

第一条 軽便鉄道を敷設し一般運送の用に供せむとする者は、左の書類及図面を提出し、主務大臣の免許を受くべし。
一 起業目論見書
二 線路予測図
三 敷設費用の概算書
四 運送営業上の収支概算書
第二条 主務大臣は公益上必要と認むるときは、免許に条件を附することを得。
第三条 免許を受けたる者は、免許に指定したる期限内に線路実測図、工事方法書及工事予算書を提出し、主務大臣の認可を受くべし。但し会社に在りては定款を添付することを要す。
第四条 線路は之を道路上に敷設することを得ず。但し必要なる場合に於て主務大臣の許可を受けたるときは、此の限りに在らず。
第五条 私設鉄道法第九条第2項、第二十条、第四十一条、第四十二条、第五十三条乃至(ないし)第五十五条および第八十条の規定は軽便鉄道に之を準用す。
第六条 鉄道営業法は軽便鉄道に之を準用す。
第七条 明治42年法律第28号は軽便鉄道の抵当に之を準用す。
第八条 本法に依り運送の業を為す者に対しては命令の定むる所に依り鉄道船舶郵便法を準用す。
附 則
本法施行の期日は勅令を以って之を定む。
本法施行前免許又は特許を受けたる鉄道及び軌道にして将来本法に依らしむべきものは主務大臣之を指定す。

2009年03月08日

捕虜(ほりょ, Prisoner of war, POW)

捕虜(ほりょ, Prisoner of war, POW)とは一般的に、戦争に関連して交戦相手国によって捕縛され管理下におかれた軍人又は軍属であることの証明書を持つ交戦者資格を有する者である。ハーグ陸戦条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約)では、俘虜(ふりょ)という訳語を用いている。ただし近代以前では、戦争で民間人を捕らえた場合でも捕虜と呼ばれた。

近代国際法が確立する前まで、かつては捕虜は捕らえた国が自由に処分しうるものであった。

捕虜は、それを勢力下に入れた勢力によって随意に扱いを受け、奴隷にされたり殺されたりした。中世ヨーロッパでは相手国や領主に対し捕虜と引き換えに身代金を要求する事がよく行われた。ただし李陵(前漢の将軍)など敵方から名誉ある扱いを受ける例もあった。これは奴隷でも学のある者が重用されることがあったのと同様の現象と言える。

イスラーム
イスラーム法において、戦争で捕虜となった敵の戦闘員は殺害か奴隷化、身代金や味方の捕虜と引き換えの解放、恩赦の4つの選択肢があり、ムハンマド自身もこれらの手段を適宜用いた。ただし後代になって法学派によって捕虜の取り扱いに関して、上記4つのうちのいくつかを否定する意見が出された。

たとえばシャーフィイー学派の法学者のマーワルディーが自著において述べるところ[1]によれば、当学派の祖シャーフィイーの説では、イマームまたはその代理としてジハードの指揮を任された人物は、異教徒の捕虜の処遇として、1)殺害、2)奴隷化、3)身代金の支払いもしくはムスリムの捕虜との交換による釈放、4)身代金無しで釈放の恩恵を与えるか、4つの選択肢を任意で行える、としている。もしこの時イスラームに改宗した場合、死罪は課せられず、他の3つの選択肢から選ばれる。

マーリク学派の祖マーリク・イブン・アナスの説では、同じく捕虜の処遇として、1)殺害、2)奴隷化、3)身代金では無くムスリムの捕虜との交換、の3つの内から選ばねばならず、恩赦は認められない、としている。

ハナフィー学派の祖アブー・ハニーファの説では、殺害するか奴隷にするか2つに1つのみである、といい恩赦も身代金との交換も認められない、としている。

マーワルディーは自著において「しかしながら」としてコーラン(クルアーン)の恩赦と身代金について、「それから後は、情けを掛けて釈放してやるなり、身代金を取るなりして、戦いがその荷物をしっかり下ろしてしまうまで待つが良い」(第47章 5 [4]節)という記述を引用し、ハディース (ムハンマドの言行録) をいくつか引用してマーリクとアブー・ハニーファの論を否んでいる。

また女性の捕虜に対しては、イスラーム戦士への戦利品として分配され、強姦されることが存在した。ブハーリーのハディース集「真正集」には、ムハンマド在世中のヤマン遠征において、アリー・イブン・アビー=ターリブが別の教友であるブライダ・イブン・アル=フサイブが(強姦の)権利を持っていた女性捕虜を横取りして強姦したため、争いになったことが伝えられている[2]。

男性の非戦闘員の捕虜に関しても、健康な成人男子であるならば戦闘員の捕虜とみなして司令官の一存で処刑することができる。2004年にイラクで日本人の旅行者の青年がイスラーム武装組織の人質になって、後に処刑された際、日本のイスラーム専門家である中田考はこの規定をあげながら、イスラーム戦争法上問題ないと述べた[3]。

南北戦争
南北戦争の初期においては相互の捕虜交換が完了するまで武器をとらぬ旨の宣誓を行えば捕虜は仮釈放され、書類上の捕虜交換後に再び軍務に復帰できた。しかし後に南軍における北軍側の黒人兵の惨殺事件の後、北軍は黒人捕虜の扱いを白人のそれと同等とするよう要求し、南軍と政府がそれを拒否したため捕虜交換制度は終焉を迎え、双方で捕虜収容所の建設が始まった。

捕虜の保護
近代国際法が確立されるにつれ、捕虜は保護されるべきものであると考えられるようになった。そのため、1899年の陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(ハーグ陸戦条約)以降、各種条約によって明文を以て保護されるようようになった。

1949年8月12日のジュネーヴ諸条約(4つある)及び1977年の第一追加議定書によって、戦時における軍隊の傷病者、捕虜、民間人、外国人の身分、取扱いなどが定められている。この第三条約により、ハーグ陸戦条約の捕虜規定で保護される当事国の正規の軍隊構成員とその一部をなす民兵隊・義勇隊に加え、当該国の「その他の」民兵隊、義勇隊(組織的抵抗運動を含む)の構成員で、一定の条件(a, 指揮者の存在、b, 特殊標章の装着、c, 公然たる武器の携行、d, 戦争の法規の遵守)を満たすものにも捕虜資格を認めた。
ルーズ リング このゆび セラピー マンタ ドッグフ リルック プッシュ ファンド 水晶パート キバナ ピラフ 時の雫 ドリブル トポス ミキシング ちょぼく ラリアン ブログ タティック リューマチ アーミン ラクターゼ ヨットレ ロケア ファイユ ラケット きつおん タービン マドン アルカイ ナビタラワ ブレザー ブルジ オルグゴン トラン ナビロト スキルア クロニ スタン オーバ リスク ドック サイト スティッ きくま パシフ チルバ カツ上 カウボーイ

1977年の第一追加議定書ではさらに民族解放戦争等のゲリラ戦を考慮し資格の拡大をはかった。旧来の正規兵、不正規兵(条件付捕虜資格者)の区別を排除し、責任ある指揮者の下にある「すべての組織された軍隊、集団および団体」を一律に紛争当事国の軍隊とし、かつこの構成員として敵対行為に参加する者で、その者が敵の権力内に陥ったときは捕虜となることを新たに定めたのである。

なおテロリスト等は国際法上交戦者とはされず、捕虜にはなり得ない。最近では正規軍とテロリスト等が交戦する非対称戦争が注目されている。むやみに捕縛者を犯罪者扱いすれば国内外からの非難を浴びかねないこともあり人道的見地から捕虜に準じた扱いをとるケースが増えている。


交戦者資格を持たない文民は第4条約で保護されているが、戦闘行為を行い捕縛・拘束された場合は、捕虜ではなく通常の刑法犯として扱われるのが原則である。 裁判は現地部隊で行われる略式裁判(特別軍事法廷)も含まれ、しばしばその場で処刑される。

第3条約は、捕虜の抑留は原則として「捕虜収容所」(俘虜収容所)において行うことを予定している。

ジュネーヴ条約は次の4つの条約および二つの追加議定書から構成されている。

第1条約
「戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」。
第2条約
「海上にある軍隊の傷者、病者及び難船者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」。
第3条約
「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」。
第4条約
「戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」。
第1追加議定書
「1949年8月12日のジュネーブ条約に追加される国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する議定書」
第2追加議定書

2009年02月19日

アフターコロニーの兵器

アフターコロニーの兵器(-へいき)はテレビアニメ『新機動戦記ガンダムW』をはじめとするアフターコロニーの作品に登場する架空の兵器の総称。
オーナー スキャン マカダミ プレリ トリニダード ジャタン ミヤコサ コビット ラトビア ギナー サイプ シャッフル ネイル ガイア コナ最適 ネバダ ナビミュ 猫物語 たてにしき オート セネガ フローズン スーパ 秋のメルヘン ゼルオー ハルツーム はっく ハードル イタリック サクセス シャーク シート ハイオ キッチュ ロール シアーズ アカマ ジルバ サーズ リバー テーマ ディアム クッパ ねこふん ノーモア フェーズ プレイ さかい ファイ ビタミン

ピースミリオンは、テレビアニメ『新機動戦記ガンダムW』に登場する、架空の超大型宇宙戦艦であり、ピースミリオン級宇宙戦艦のネームシップ。ピースミリオン級は分類こそ「宇宙戦艦」に属するが、実際には移動能力を持った宇宙要塞的な存在である。

全ガンダムシリーズにおいても数少ない超巨大戦艦。ハワードとプロフェッサーGにより開発されたが、長きに渡り月の裏側に隠されていた。ハワードがゼクス・マーキスの支援のために起動させるが、後半はガンダムパイロット達の母艦として活躍。リーブラの侵攻を止める為、主砲に特攻し機能停止に陥る。

劇中ではまったくといっていいほど戦闘に参加しないが、ビーム砲などで武装している。とはいえ艦単独の戦闘能力はさほど高くなく、強力な火力もないので、戦力は艦載機に大きく依存している。

高速戦闘艦
高速戦闘艦は、テレビアニメ『新機動戦記ガンダムW』に登場する、架空の乗物の名称である。物語中盤、ピースミリオンを拠点に対OZ破壊工作を行っていたゼクス・マーキスが、ピースミリオンから攻撃目標地点への移動手段として主に使用した。

全長約300m。MS2機を格納でき、MSが使用可能な電磁カタパルトを備える。艦上面に対MS用ビーム砲を2基、艦首に大口径のビーム砲を備える。MS輸送が主目的の艦ではないので格納MS数は2機のみ、着艦も並のパイロットが気絶するほどの急減速を要するなどMS運用性は一般的な輸送艇より悪い。

劇中この艦が直接戦闘に参加するシーンはなく、また艦載MSパイロットであるゼクス以外の乗組員は不明。作戦終了後は至近にピースミリオンが出現し直接この艦を回収している。

OZ(旧スペシャルズ)
宇宙要塞バルジ
宇宙要塞「バルジ」は、テレビアニメ『新機動戦記ガンダムW』に登場する軍事コロニー、架空の宇宙要塞である。オペレーション・デイブレイクにより歴史の表舞台に姿を現したOZが、宇宙における戦略の拠点として擁していた。TVシリーズ第10話で初めてその存在が明らかになった。主な要塞司令官はレディ・アン(留守時はニコル)、ツバロフなど。デルマイユ侯も司令官として赴く予定だった。

構成は完全な人工物である。構造は厚みのある円盤型の重力ブロックと、中心軸を同じにするそれより直径の短い円柱状のエンジンブロック、更に重力ブロック前面の中央を横切って細い矩形の非回転部分が存在、回転軸中心に宇宙港が存在する。重力ブロックだけでなく農業プラントも有し、居住性は高い。

また矩形の非回転部分両端には巨大な口径のビーム砲(劇中「バルジのビーム砲」と呼ばれるが「バルジ砲」とは別物)の砲口が各1ずつ(計2)配されており、その威力の前には通常のMSは勿論、ガンダニュウム合金製のガンダムタイプや、8基のプラネイトディフェンサーを有するモビルドール WF-03MD ビルゴIIですらも耐えることは出来ず、命中時には一撃で宇宙コロニー動力部を完全破壊しその機能を奪うことが可能であった。 なお砲の角度は固定されているため、照準は要塞本体の向きをバーニアで制御することで設定する。

OZ宇宙軍全体の司令部であり、地上のOZ上層部から宇宙軍への指令もほぼすべてここを経由して送られる他、大規模な戦闘時には本陣として戦場まで移動し、MS・MDの展開や支援だけでなく自らもビーム砲で敵拠点への攻撃や威嚇などを行う。

MS・MDの支援・整備が可能で大量のMSを内部に収容している。主な機種は OZ-06SMS リーオー、OZ-12SMS(OZ-01MD) トーラス およびその各種兵装や輸送艇である。バルジ、後のバルジ改ともにOZ-02MD「ビルゴ」 シリーズは無い、あるいは戦力たる数を有さない。

バルジの参加した主な戦闘
旧連合のミサイル衛星を用いた宇宙コロニーへの攻撃 (TV第10話)
シェンロンガンダムのバルジ襲撃 (TV第19話)
旧連合宇宙軍残党が篭城中のコロニーに対する攻略作戦 (TV第22話)
レディ・アンの叛乱 (TV第25話)

宇宙要塞バルジ改
アルテミス・レヴォリューションで蜂起したコロニー市民の革命組織「ホワイトファング」により月面基地、および建造中の宇宙戦艦リーブラを占拠され、宇宙要塞バルジが最後の拠点となったOZ宇宙軍が、来たるべきホワイトファングのバルジ攻略作戦に備えてバルジに大幅な改修を行い、新たに「バルジのビーム砲」を上回る要塞砲「バルジ砲」を増築した姿が宇宙要塞「バルジ改」である。 「バルジ砲」は旧バルジにおいて宇宙港があった要塞正面・回転軸中心からバルジ本体全長の半分の長さにも及ぶ長大な構造物を砲身とし、動力にバルジのメインエンジンを直結して使用する巨大なビーム砲である。チャージに時間は要するものの、口径も射程も「バルジのビーム砲」を遥かに上回り、発射されたビームの光条は、ホワイトファング軍の無数のMD・MSや艦艇を消滅させただけでなく、戦場から離れたコロニーをも掠めて大被害を与えた。

戦力として保有するMS・MD戦力は改装前のバルジと同様であるが、プラネイトディフェンサーで身を固め対ビーム防御に秀でるホワイトファング軍の主力 WF-03MD ビルゴII に対抗するため、急遽トーラス用レーザーガンが用意された。またバルジ砲チャージの時間を稼ぐため、MS同士の戦闘に先んじて宇宙機雷による防衛線も敷かれ、MS-MS戦闘時には従来装備の「バルジのビーム砲」も支援に動員された。

バルジ砲の第二射を撃とうとした際に、ホワイトファング司令ミリアルド・ピースクラフトの搭乗するガンダムエピオンによる攻撃を受け、大爆発を発生させ消滅した。

バルジ改の参加した主な戦闘
ホワイトファング軍によるOZ宇宙要塞バルジ攻略戦 (第41話)

トーラスクルーザー
諸元 トーラスクルーザー
製造 OZ
生産形態 量産型輸送艇
武装 なし (但し搭載トーラスの火器を
搭載状態のまま使用可能)
搭乗者 ヒルデ・シュバイカー
ヒイロ・ユイ
デュオ・マックスウェル
トーラスクルーザーとは、架空の兵器でテレビアニメ『新機動戦記ガンダムW』に登場する架空の乗り物の名称である。(別名「トーラスキャリアー」)

OZが宇宙用モビルスーツ OZ-12SMS トーラス輸送用に開発した、トーラス専用の宇宙用高速輸送艇である。本機1機につき最大3機のMSあるいはMDトーラスを輸送可能。初登場はTVシリーズ第34話。(「トーラスクルーザー」の呼称の初出は第45話)

外観はキノコや傘に似ており、傘の柄にあたる柱状部に巡航形態のトーラスが最大3機、各120°の向かい合わせでコクピット側で係留される。(1機のみのトーラスの輸送も可能。) トーラスのコクピットと本機は気密的に接続されるので、輸送中はMS乗員は宇宙空間を介さずに本機機内との行き来が可能となっている。 武装は特に無いが、搭載しているトーラスのビームライフルやビームキャノン(トーラスカノン)を輸送状態のまま本機の武装として使用できる。 搭載トーラスの分離後は後方に下がるが、MDトーラスやMS部隊全体の作戦指揮もしばしばここから行われた。 巡航速度は高く、トーラス部隊を作戦区域に迅速に展開することが可能な他、本機自体も高い機動性を誇り、操縦者の腕次第では敵MSの密集区域をその機動性で掻い潜ることも可能。 また前面(傘部分)の装甲は堅固で、かなりの被弾にも耐え得る。劇中に該当シーンは無いが、大気圏突入も可能である。

トーラスクルーザーはOZにより、L5潜伏中のガンダム05(XXXG-01S2 アルトロンガンダム)や、OZ-00MS トールギスでゲリラ活動を行うゼクス・マーキスの討伐作戦などに多数が投入されたが、ホワイトファング蜂起後はOZの他の兵器同様に接収され、使用された。

本機の主な使用者としては、ヒルデ・シュバイカーがMSトーラスでのリーブラ脱走時に使用した他、OVA『新機動戦記ガンダムW Endless Waltz』でもヒイロ・ユイとデュオ・マックスウェルがX18999コロニー侵入の際、デュオ操縦によるトーラスクルーザーを使用している。小説版では、デュオがどこからか調達したものを資源衛星に隠していたと語られており、それを見せられたヒイロはデュオが戦艦を調達していた事に呆れていた。

カラーリングはOZ・ホワイトファングともに灰色。
グランシャリオ
グランシャリオは、漫画『新機動戦記ガンダムW デュアルストーリー G-UNIT』に登場する架空の宇宙戦艦。OZプライズが資源衛星MO-Vを攻撃する際の拠点となった。

ホワイトファング
リーブラ
リーブラは、テレビアニメ『新機動戦記ガンダムW』に登場する、架空の超大型宇宙戦艦であり、ピースミリオン級宇宙戦艦。ピースミリオン級は分類こそ「宇宙戦艦」に属するが、実際には移動能力を持った宇宙要塞的な存在である。

ピースミリオン級宇宙戦艦「リーブラ」は、地球圏をほぼ統一し終えたOZ(ロームフェラ財団派)がその力の象徴、および宇宙政策の要としてOZ宇宙軍司令官ツバロフ指揮の下で建造が進められていたが、完成直前に革命組織ホワイトファングが蜂起、リーブラ建造の現地指揮官でホワイトファングの内通者でもあったセディッチの手引きによりリーブラはホワイトファングに奪われ、最終的には同組織によって完成された。

構造はほぼ正八面体型のメインブロックと、その同一平面状の4頂点に菱形のエンジンブロック4つを水平に組み合わせた形がベースとなっている。メインブロック下部に砲口を開く「主砲」は、宇宙空間から地球上を狙撃し、島をひとつ消す威力を発揮してみせた。ただし、設計者である5人の科学者による意図的な構造欠陥のため、発射毎に艦全体への異常の発生が絶えなかった。

主砲の他、艦体表面に無数のビーム砲(副砲)が配されており、張五飛のXXXG-01S2 アルトロンガンダムが完成前のリーブラを襲撃した際も、稼動可能であった副砲の一斉射撃によりこれを撃退している。

名前の由来は黄道十二星座のひとつ天秤座のラテン語。

最終回、ピースミリオンの特攻により主砲を失ったリーブラは、その質量とジェネレータの爆発により核の冬を起こそうとするホワイトファング指導者ミリアルド(ゼクス)により地球に落下させられようとしたが、5人の科学者の機転により再起動したピースミリオンによって大部分の降下を阻止することに成功。依然降下を続けるリーブラの一部も、内部からのエンジンの破壊、およびウィングガンダムゼロのツインバスターライフルの直撃によってその艦体は落下直前に完全に破壊された。(関連項目・コロニー落とし)

地球圏統一連合軍
宇宙機雷
宇宙機雷(うちゅうきらい) は、『新機動戦記ガンダムW』に登場する架空の兵器。

主に地球圏統一連合が宇宙コロニーの制圧・支配に使用した無人兵器。直径0.75m・高さ2mの円筒に大小ロケットノズルが計6つ配した形状をしている。

特定宙域に数百?数千基単位で静止的に設置され、敵性目標が有効圏内に侵入すると付属のロケットエンジンで対象に向かって自走し衝突。運動エネルギーと爆発により対象を破壊する。コロニーや航路の封鎖の他、宇宙要塞の防御などにも用いられた。また、連合衰退後はOZもこの兵器を使用した。

劇中での動向
地球圏統一連合は全宇宙コロニーを武力制圧した後、コロニー同士やコロニーと地球間の往来を厳しく制限し、主要コロニーの周辺や重要航路に、監視衛星や通信妨害装置などと共にこの宇宙機雷を大量に設置した。その効果は絶大であり、事実ガンダムを開発した5人の技師たちですら各コロニーにいる互いの動向を知ることができなくなっていた。この兵器の存在により地球圏統一連合は長きにわたってコロニーの支配権を保持した。
対象を感知・追尾・衝突するだけの極めて単純な無人兵器である。が、比較的高速で非直線的に運動し、かつ一目標に対し大量の機雷が同時に追尾を開始するため、艦船より機動に優れるMSですら回避困難な代物であった。これを回避や撃墜が可能なレベルのパイロットにも一定量の消耗を強いることができるため、有人機に対し安定して有効な兵器と言え、劇中でもヒイロの「モビルドール(MD)よりも宇宙機雷の方が手を焼く」という言がある。
その単純さゆえに同じ無人兵器のMDに対しては効果が低く、劇中ではMDトーラスが僅か2機で数十基の宇宙機雷を回避運動すらせずに撃墜している。しかし言い換えればOZの本格的な宇宙進出はMDシステムの完成を以って開始されたのであり、それ以前の宇宙機雷の厄介さが伺える「宇宙の掃除も楽になったものだ」というつぶやきを上記2機を監督していたニコルがもらしている。通常兵器としての運用の他、MSパイロットの採用試験や新型MSの性能試験などで模擬目標としても用いられた。

2009年02月03日

浦上氏は、日本の氏族

浦上氏は、日本の氏族であり、後述のような一族を指し示す。
パンチ ナビスパ キログラム ユーロ 風花 スマート ラビット リュクス リバー ナビピ スタチオ パラダイス 朝の山道 タイム すいば レバー クニカル ハイレ アーマー マレーシア まーこ ビフテキ 生かす マラケ 自然薯 ボック プラチナ ライフプ オマーン ドーハ 道しるべ オーガ うみわに ミーズ あかちゃ トロンボ 逢坂の関 スポッ シティ ミックス ドマーク ジニーメイ スプレッド はっさく フリート フォトン ブレード シアトー タイム ハウス

1;紀姓浦上氏。本項で詳述する。
2;有道姓浦上氏は、武蔵七党の一派児玉党の一族。

浦上氏(うらがみし 「うらかみ」と言う説もある)は、武内宿禰系紀氏の流れを汲むとされる。紀長谷雄または紀貫之の子孫であり、播磨国揖保郡浦上郷(浦上庄)が苗字の地である。武家としては赤松氏とともに発展し、後に下克上を行い戦国大名としては、播磨・備前・美作に勢力を伸張した。

なお江戸時代に、堀田家は浦上氏と同族とする仮冒系図を作成したが、これは室町時代の名門・浦上氏の威光を借りたものと類推され、堀田家とは別系統と考えるべきである。

発展
鎌倉時代末期、播磨から赤松則村(円心)が史上に現れた際には、浦上氏もその活躍の一翼を担い、鎌倉幕府の倒幕にも参加している。ちなみに浦上氏の名が書物にあらわれるのは、『大徳寺文書』にみられる為景なる人物が最初である。大徳寺の開山は大燈国師で知られる宗峰妙超で、浦上掃部入道覚性(一国ともいう)の子と伝えられている。宗峰は同郷の赤松則村の帰依を受け、正和4年(1315年)、洛北紫野に小堂を建立した。これが大徳寺の起源となり、正中2年(1325年)、花園天皇は大徳寺を祈願所とする院宣を発している。後に後醍醐天皇から播磨国浦上庄を寄進された宗峰は、浦上庄の半分を一族に分配することを申し出て許され、為景が天皇からその旨の綸旨を賜ったとのことである。

南北朝時代には、赤松氏は後醍醐天皇を中心とした建武の新政権を見限り、早くから足利尊氏に従った。尊氏が幕府を開くと、則村は播磨守護に、長子範資は摂津守護となった。おそらくこの頃に、守護赤松氏とその被官浦上氏と言う形での主従関係が成立したのではないかと思われる。 貞治元年(1362年)、山名時氏が備前に侵攻した際には、備前守護松田信重が浦上行景と共に防戦したことが『太平記』に記されている。やがて則祐が備前守護に補任されると、行景は守護代に任じられた。このことが、播磨を本領としていた浦上氏が隣国の備前へ勢力を伸ばす足掛りともなり、以後浦上氏は赤松氏の有力被官として活躍することになる。行景の後は、助景が守護代を継ぎ、赤松氏の被官としてその支配に尽力していたようである。赤松義則が幕府の侍所頭人に就任すると、助景は所司代に取り立てられている。しかし応永15年(1408年)、助景は伊勢国山田において誅殺されている。(この年には、第3代将軍足利義満が死去しており、政変に巻き込まれた可能性があると思われる。)その後の所司代には浦上性貞が就いている。

赤松氏は嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱を起こし没落するが、この時には浦上宗安、則永らがともに幕府方となった山名氏の軍勢と戦っている。その後小寺豊職をはじめとする赤松氏の遺臣たちは、満祐の弟義雅の孫赤松政則をもりたてて主家再興を企画し、ついに長禄元年(1457年)、政則は家督相続を許された。応仁の乱では浦上則宗が赤松政則とともに東軍の細川勝元に属し、赤松軍を率いる主将として活躍した。応仁の乱後、赤松氏が播磨・美作・備前の三国の守護となると、則宗は備前守護代となっている。文明3年(1471年)政則が侍所の所司に任ぜられると、則宗が所司代となり実務を司った。文明13年(1481年)、山城守護に補任された政則は則宗を守護代とするなど、ここに浦上氏の権勢は大きく伸びることになる。

しかし乱後の影響が赤松氏の領国にも及ぶこととなり、文明15年(1483年)11月、備前御津郡金川城主の松田元成が、山名氏と結んで備前福岡を攻めた。赤松政則は但馬の山名氏を攻撃する戦術をとったが、但馬守護山名政豊に大敗し播磨は乱戦模様となった。この結果政則の権威は失墜し、政則は和泉へ逃れている。浦上則宗は小寺則職・中村祐友・依藤弥三郎・明石祐実らの諸将と図って、五人の連署で赤松刑部大輔(有馬則秀)の子慶寿丸に家督を継がすよう画策も行っている。しかし足利義政の仲介により、政則と浦上氏らは和解し、文明17年3月から山名氏との播磨を巡る攻防に入った。坂本城を拠点とする西播磨の山名氏と、長享2年(1488年)7月に勝利するまで五年間に渡り対峙した。やがて播磨・美作・備前を回復した政則は、第10代将軍足利義材の軍奉行となるなど活躍し、明応2年(1496年)従三位に叙せられている。

赤松政則の死後、その養子である赤松義村は、浦上氏などに支持される形で、播磨・備前・美作の守護に就いたが、義村は自立の機会を伺っていた。浦上則宗の子(養子・孫ともいう)守護代浦上村宗は、永正15年(1518年)義村と対立し居城の三石城に退去した。しかし義村は守護の権威をもって村宗の討伐を企図し城を囲んだ。村宗は主家からの攻撃に狼狽したが、重臣の宇喜多能家らの支えにより攻城戦を乗り切った。しかし翌年の永正16年(1519年)には義村は再度兵を起こし、浦上氏に対抗する有力家臣である小寺城主小寺則職を主将として美作の浦上方の諸城を攻撃させた。赤松勢は浦上勢を圧倒し義村の目的は達成されるかに思えたが、やがて則職の軍は打ち破られた。逆に村宗は播磨に攻め入り義村を捕らえ、窮した義村を隠居させた。その後義村を幽閉し殺害した(1521年)。これにより名目的にも実質的にも、播磨・備前・美作の支配権を得て戦国大名への道を歩み始めた。

だが村宗が享禄4年(1531年)6月、天王寺の戦い(大物崩れ)で討死する。嫡子である浦上政宗は未だ幼少の身であったが浦上国秀など一族の有力な家臣の補佐もあり、無事に元服を果たす。その後、尼子詮久(後の晴久)によって一時期所領を失うも機を見て復帰し播磨、備前の2国を回復。ここに至る戦いの中で発言力を強めていった政宗は赤松氏筆頭家老にまで登り詰める。 しかし天文20年(1551年)、再び兵を率いて備前侵攻に際して政宗と弟の浦上宗景は真っ向から対立。政宗は播磨国室津に、宗景は備前国天神山に根拠を置いて、以後10年にわたり対立し、浦上氏は大きく分裂することになった。政宗は播磨守護代として実効支配を行い赤松氏を傀儡としていたが、永禄7年(1564年)に赤松政秀に襲撃され滅んだ。一方弟の宗景は、備前・美作一帯に一大勢力を築いて、また織田信長と誼を通じるなどして、再び家勢を盛り返した。宗景は、信長には領国の安堵を受けたが、台頭してきた重臣の宇喜多直家と不和となり、毛利氏と結んだ直家は浦上久松丸を擁立して天正3年(1575年)に宗景を打ち破り播磨国に追放した。ここに戦国大名としての浦上氏は実質的には滅亡した。久松丸はまもなく直家に毒殺され、また宗景は黒田長政を頼り筑前国で没したとされる。

主な浦上一族
浦上則宗
浦上則永 則宗兄
浦上宗助 則永長男
浦上村宗 宗助長男
浦上宗景 村宗次男
浦上成宗
浦上政宗 村宗長男
浦上清宗
浦上誠宗
浦上久松丸
浦上国秀 則国一族?

主要家臣
島村盛実
中山信正
宇喜多能家
宇喜多興家
宇喜多直家

系図
(斜体の人物は養子)

       為景
        ┃
       行景
        ┃
        助景
        ? (関連不詳)
        性貞
        ┃
        掃部                (不詳)
        ┣━━━━━━┓           ┣━━┳━━━┓                
        則永     則宗          基景 豊前守 基久
        ┣━━━┓  ┣━━┳━━┓     ┃      ┃
        宗助  則久 則景 則国 祐宗    基政     宗茂   
        ┣━━━┓
        村宗  宗久
       ┏┻━━━━┓
      政宗    宗景  
 ┏━━━━━┫     ┣━━━┓
清宗    誠宗    宗辰  成宗
 ┃               ┃
直宗              宗利

2009年01月20日

三味線は楽器分類学上「リュート属」に属し

三味線は楽器分類学上「リュート属」に属し、その中でも胴に長い棹を差し込んだ形状をしており、このような楽器は世界各地に見られ、ギターやシタールも同じ仲間と見なされている。いっぽう同じリュート属でも琵琶やリュートなど棹と胴が一体化もしくはそれに近いものとは別の系統とされる。

楕円形の胴に革を張り、棒状の長い棹を取り付けたリュート属弦楽器は、すでに古代エジプトの壁画に見られる。しかしこれが三味線の直接的な祖先かどうかは分からない。一方同じような楽器が中国秦代にも現れ、やがて奚琴となり、トルコ族によって中東に伝えられてラバーブになった。このラバーブが後に中東及びイラン(ペルシャ)のセタールとなったという説がある(胡弓演奏家・原一男による「擦弦楽器奚琴起源説」)。これは「3つの弦(糸)」の意であり、これが三味線の祖先とされる。のち中国に入り、三弦(サンシェン)が生まれる。琉球王国と中国(福州)との貿易により琉球にもたらされ、三線(サンシン)となった。これが三味線の原型という説もある(中国の三弦そのものが琉球経由で日本に入ったとする説もある)が、その後三線は本土の三味線から逆影響を受けて完成した。このような理由にもより、沖縄県では今でも中国風に「サンシン」と呼んだり、日本風に「シャミセン」と呼んだり、二つの呼称が併存している。

16世紀末、琉球貿易により堺に中国の三弦がもたらされ、短期間の内に三味線へと改良された。豊臣秀吉が淀殿のために作らせた三味線「淀」が現存するが、華奢なものの、すでに基本的に現在の三味線とほとんど変わらない形状をしている。外国楽器である三弦から三味線への改良に関しては、当道座の盲人音楽家との関連が重要である。三弦が義爪を使って弾奏していたのを改め、三味線の弾奏に彼らが専門としていた「平曲(平家琵琶)」の撥を援用したのもそのあらわれである。また琵琶の音色の持つ渋さや重厚感、劇的表現力などを、本来どちらかといえば軽妙な音色を持つ三味線に加えるために様々な工夫がなされたものと思われる。とくに石村検校は三味線の改良、芸術音楽化、地歌の成立に大きく関わった盲人音楽家であろうと言われる。 こうして軽重哀楽を様々に幅広く表現することのできる楽器となり、江戸時代に入るとすぐ、石村検校らにより最初の三味線音楽種目である地歌が生まれる。また語り物である浄瑠璃にも取り入れられ、三味線音楽は「歌いもの」「語り物」の二つの流れに大きく分かれ、更に分化を繰り返して大きく発展していく。また都市の芸術音楽から流行歌、やがて地方の民謡にまで盛んに使われるようになり、こうして様々な近世邦楽をリードし支え、それと同時に更なる改良が加えられ、日本を代表する弦楽器となった。

日本音楽史上、一般民衆が楽器を手にするのは、神楽の笛、太鼓、鈴を除けば、三味線を待たなければならなかった。
セッサカー リネーム ソテー トラック きょうお チップ ゴブラン サンファ デリバリー プレー スパンキ ラシン カーレース シリコンウ リテーラー フォワ フラン アデニ ジャケット コスミド クロロ いいだこ ニポポ あしべつ ファゴット トニア ソックス スンニ ロジカル ほうゆう むろね ヒッピー バックホ リラックス せれべす かばん ライ麦 ツアー わらぐつ チャクラ カード キミと僕 ハーフマラ ももいろ コータロウ スンダ 恋模様 ターボ カゼイン メルシ

三味線に関する言葉
相手を惑わすことを「三味線を弾く」という。本来は「口三味線を弾く」、つまり口で三味線の音色を真似る事から、偽物、虚言という意味。たとえば「マージャンで、実際の手とは全く異なる手が出来ているように言い、相手を油断させたり警戒させたりする」「モータースポーツの予選でのかけひきで、実力よりはるかに遅いタイムを出してライバルチームを油断させる」など。
シャミセンガイは腕足動物門腕足綱無穴目シャミセンガイ科に属する動物。殻を胴、長い尾を棹に見立てたもの。
ナズナ(アブラナ科の植物)の俗名として「ペンペン草」がある。これは果実が三味線の撥に似ているため、三味線音の擬音「ペンペン」を冠したもの。